長谷寺

2026年から、真言宗十八本山の巡礼を始めています。
その流れの中で、4月8日の休みに第16番・長谷寺へ行くことを決めたのは、3週間ほど前のことでした。

この時期は、桜の季節でもあります。
昨年は、両親と近所の公園で花見をしました。

「今年は少し違う場所で桜を見てもいいかもしれない」
そう思い、長谷寺の桜を見に行くことと、両親を誘うことを決めました。

普段の参拝は、あまり事前に調べることはありません。
気の向くまま、その時の流れで訪れることが多いです。

ただ、その結果として、
本堂までかなりの階段や山道を登る必要がある場所に当たることもありました。
自分でも息が上がるような道を、何度か経験しています。

今回は、70代半ばの両親と一緒です。
同じような感覚で行くわけにはいきません。

無理のない形で参拝できるように、
珍しく事前に調べて、当日の流れをある程度決めてから向かうことにしました。

👉 内向型の働き方シリーズはこちら

事前に参拝ルート計画を立てた理由

これまでの参拝は、その場の流れに任せることがほとんどでした。

どこに行くかも、どんな道かも、
あまり細かくは調べずに向かいます。

それはそれで、その時にしか出会えない感覚があり、
自分に合っているスタイルだと思っています。

ただ今回は、少し事情が違いました。

長谷寺は、本堂までの登廊(のぼりろう)に長い階段があることで知られています。
屋根付きの回廊ではありますが、段数は決して少なくありません。

自分一人なら問題なくても、
70代半ばの両親にとっては大きな負担になる可能性があります。

「無理なく参拝できるかどうか」
そこを一番に考えて、
休憩のタイミングや歩くペースも含めて、ゆっくり回れる計画を立てました。

花まつりと、もう一つの偶然

調べていく中で、もう一つ分かったことがありました。

4月8日は、お釈迦様の誕生日にあたる「花まつり」の日でした。

特別に狙っていたわけではありませんが、
日程を決めたあとにそのことを知り、
少し不思議なご縁を感じました。

さらに、両親を誘ったあとで気づいたのですが、
その日は両親の結婚記念日でもありました。

「そういえばそうやったな」
という、あとから重なるように気づく流れでしたが、
結果的にはいい一日になりそうな予感がありました。

母は、花まつりで振る舞われる「甘茶」を楽しみにしていたようで、
当日もそのことを何度か口にしていました。

途中で若いお坊さんに、
「花まつりはどこでやってますか?」
「甘茶はありますか?」
と聞く場面もありました。

ただ、その場でははっきりした案内はなく、
後で調べて分かったのですが、
甘茶の振る舞いは鎌倉の長谷寺の方で行われているものだったようです。

事前に調べたつもりでも、こういうところは少し抜けていて、
自分らしいなと思う反面、母には少し申し訳ないことをしたなとも感じました。

出発の朝と、長谷寺までの道のり

2026年4月8日。
奈良県桜井市初瀬の花の御寺で有名な長谷寺へ、両親と一緒に向かいました。

前日は雨でしたが、この日は朝から快晴。
桜は満開を過ぎた頃で、何度かの雨もあり少し心配していましたが、
まだ十分に見頃といえる状態で、きれいに残っていました。

今回は両親と、そして我が家の犬(プーくんとマルくん)も一緒に車での移動です。

僕はここ数年、神社仏閣を巡るようになりました。
きっかけは四国遍路でしたが、転職を機に少しずつ巡る目的も変わり、
今は近畿三十六不動尊や真言宗十八本山を中心に参拝しています。

その中で、長谷寺は真言宗十八本山の一つとして、今回訪れることになりました。

御朱印との向き合い方

参拝と同じように、御朱印についても自分なりの考えがあります。

集めることが目的というより、
「どの流れでいただくか」を大切にしています。

大きく分けると、いくつかの軸で使い分けています。

  • 真言宗十八本山:自分の軸となる巡礼(専用納経帳)
  • 近畿三十六不動尊:日々の行動の積み重ね(大阪成田山不動尊の御朱印帳)
  • その他の寺院:ご縁や節目での参拝
  • 神社:寺院とは分けて、日常の流れとして受ける(サムハラ神社の御朱印帳)

神社用の御朱印帳は、サムハラ神社のものを使っています。
天河大弁財天社の御朱印帳も手元にあり、伊勢神宮などの参拝で使えたらと思っています。

こうして分けていると、
あとから見返したときに、その時の意味や流れが分かりやすくなります。

父とはこれまでにも何度か参拝していますが、
母と一緒にこうして出かけるのは、今回が初めてでした。

朝の準備と、静かな出発

長谷寺には9時到着予定で出発しました。
実家まで迎えに行く時間も含めると、朝はかなり早めの行動になります。

「昔はこんなに早起きじゃなかったのに」と、
母に言われることも増えました。

ただ、駐車場や参拝で並ぶのは避けたい。
その話をすると、すぐに納得してくれます。

人混みや行列が苦手なのは、どうやら昔から変わっていないようです。

余談ですが、この日は実家へ向かう前に、
近くのガソリンスタンドで洗車と車内の掃除も済ませました。

せっかくの一日なので、少しでも気持ちよく出発したいと思ったからです。

後部座席では、洋服を着たプーくんとマルくんが落ち着いた様子で乗っていました。

到着と、仁王門までの流れ

途中、通勤時間帯と重なったこともあり、ところどころ渋滞がありました。
奈良の道はあまり詳しくないため、ナビ通りに進みます。

「もう少し抜け道があるのかな」と思いながらも、
結果的には大きく外れることなく、無事に到着しました。

予定より30分ほど遅れましたが、
長谷寺の境内に一番近い駐車場に停めることができました(500円)。

道中にはいくつか駐車場があり、
参道沿いにはお店も並んでいて、歩くだけでも楽しめそうな雰囲気でした。

ただ今回は、両親の体力を優先して、できるだけ入口に近い場所を選びました。

車で来ているため、犬たちは車内で待ってもらうことになります。
その前に、少しだけ周辺を散歩してから、仁王門の前で写真を撮りました。

長谷寺仁王門と犬の写真
仁王門前でマルくんとプーくん記念撮影。ここから参拝が始まる。

両親と仁王門の前で写真を撮り、
ここから境内へ入ります。

受付で入山料(500円)を納めて、参拝の準備が整いました。

登廊をゆっくり上る

長谷寺登廊
上中下の三廊に分かれている登廊。

仁王門をくぐると、長谷寺の象徴でもある登廊が続いています。

テレビでもよく見る風景。屋根に覆われた回廊のようなつくりで、
外の光を感じながらも、どこか静かな空気に包まれ、
一瞬で別世界に来たような感覚になりました。

この景色で感じることは世界共通なのでしょうね。
外国の方も足を止めて写真を撮っていました。

山門をくぐった瞬間、長い登廊の先に視線が引き込まれ、
両親も僕も仁王門の存在に気づかないほどでした。
撮りたいのは人のいない一瞬の写真。
そのタイミングを待つ人も多く、自然と少し混み合います。

登廊の階段は399段ありますが、上・中・下の三つに分かれています。
最初の下段は高さも低く、緩やかな傾斜で、
母も「この階段は登りやすいね」と言っていました。

下段を上がりきったあたりで、父がふと、
「これが天狗杉かぁ、思ったより低いなぁ」と一言。
聞いてはいませんが、事前に調べてきているのだと感じました。

中段から上段にかけては少し傾斜も上がりますが、
両親も無理なく、会話をしながらゆっくり進んでいきます。

途中にはベンチもありましたが、
使うことなく上がれたことに、少しだけ嬉しさを感じました。

長谷寺の下段は青年期、中段は壮年期、上段は老年期を表す人生の道のりを表していると言われています。

👉 朝護孫子寺(信貴山)参拝記|20年前の記憶をたどる山の一日

本堂で観音さまに手を合わせる

長谷寺本堂
長谷寺本堂(国宝)

登廊を登り終えると、右手に納経所、左手に国宝の本堂が見えてきます。
舞台造りの立派な建物で、目の前に立つと自然と足がゆっくりになります。

本堂の中に入ると、空気が変わるのが分かりました。
少しだけ、身が引き締まるような感覚です。

今回は事前に調べていたこともあり、
両親に十一面観世音菩薩のことを小声で伝えました。

「頭の上に十一の顔があるから十一面観音。
正面はやさしい顔、右は怒った顔、左は牙を出した顔。
後ろは見えないけど、悪を笑い飛ばす顔があるんだって。」

「長谷寺の観音さまは高さ10メートルを超えていて、
木造では日本最大なんだって。
右手に持っている錫杖(しゃくじょう)も特徴で、
あらゆる病を除く意味があるらしい。」

「胸につけているのは?」と聞かれて、
「瓔珞(ようらく)。菩薩さまの特徴だよ」と答えました。

こういうことに興味を持つところは、やっぱり似ているのかもしれません。

静かな本堂の中で、声を落として話す時間。
観音さまと、両親に包まれているような、そんな感覚がありました。

本堂の舞台に出ると、景色が一気に開けます。
天気もよく、目の前には山の緑と桜、
そして、さっき登ってきた登廊がゆっくりと続いていました。

気がつくと、何枚も写真を撮っていました。

長谷寺本堂 特別拝観券

長谷寺観音の特別拝観(1000円)を申し込みました。

本堂の入口で、係の方から結縁の五色線をいただきます。
左手につけて、本堂の中へ。

十一面観世音菩薩のお御足に触れて、お参りしました。

多くの方が手を合わせてきたからか、
お御足はやわらかく光り、きれいに磨かれているように感じます。

下から見上げる観音さまは、想像以上の大きさで、
その場に立つと、言葉が少し出てこなくなりました。

母と一緒に受けた御朱印

真言宗一八本山 長谷寺の御朱印
真言宗一八本山 第16番 長谷寺の御朱印

本堂での参拝を終え、納経所で御朱印をいただきました。

今回は、御朱印を母に体験してもらうことにしました。

長谷寺では、西国三十三所の御朱印をはじめ、
さまざまな御朱印をいただくことができます。
僕が今回いただいたのは、真言宗十八本山の御朱印です。

西国三十三所、近畿三十六不動尊、そして真言宗十八本山。
それぞれの違いや特徴を、簡単に両親に説明しながら、
順番を待ちました。

少し緊張した様子で御朱印を受ける母の姿を見て、
「ああ、やっぱり似てるな」と思いました。

参拝のあとも、ゆっくり境内を歩く

長谷寺本堂と桜

本堂での参拝と御朱印を終えたあとも、少しだけ境内を歩きました。

両親が気に入っていたのは、やはり桜でした。
満開を少し過ぎた頃とはいえ、枝垂れ桜はまだきれいに残っていて、
何度も足を止めて見上げていました。

本堂までの階段を気にしていましたが、
実際に歩いてみると、登るときより下りの方が足にくるな、という話になりました。
たしかに登りは気持ちが前に向いていますが、
下りは足元に気をつかう分、違う疲れがあります。

途中、大黒天のところでは「福寿と円満の石」に手を触れました。
親にすすめられて、せっかくやし触っとこうかという流れでした。

ただ、その場で僕は、
「大黒天さん自体は歴史あるけど、この石は奉納されたもので、そこまで古いものではないみたいやで」
そんな話をしていた記憶があります。

信仰の場に来ていても、
何でもそのままありがたがるというより、少し引いて見てしまうところは自分らしいなと思います。

開山堂の前も通り、写真だけは残しました。
僕は不動明王が好きなので、願力不動明王の写真も撮っていました。
本坊の方へも少し足を伸ばしましたが、入口あたりまで。

その近くでは、皇室ゆかりの松について父が看板を熱心に読んでいました。
「松は手入れが大変やからなぁ」と言っていたのが印象に残っています。

こうして振り返ると、それぞれがそれぞれの目線で、この場所を見ていたのだと思います。

奈良の長谷寺
長谷寺の境内を見下ろすと、ところどころに残る桜が、春の名残を感じさせてくれました。

お昼ごはんと、親らしさ

ひと通り参拝を終えたあと、仁王門の下まで戻って昼食をとることにしました。

時間はまだお昼前で、店にはすぐに入ることができました。
ただ、食事を終える頃には順番待ちになっていて、やはり早めに動いて正解だったと思います。

参道沿いのお店で、落ち着いて食事ができました。
こういうとき、段取りよく座れてしまうと少し安心します。

食事代は親が出すと言ってくれました。
「いつもいろいろしてもらってるから」と。

全部出してもらうのも違う気がするのですが、
こういうときに無理に押し返さない方がいいのだろうとも思います。
そのあたりの距離感は、昔からあまり変わっていません。

食事の中で、柿の葉寿司の話になりました。

父は鯖が食べられないのですが、なぜか柿の葉寿司の話をするので、
「食べられへんのに、なんでやろな」と母と顔を見合わせていました。

こういうやりとりも、いつもの感じだなと思います。

最後に気づいたこと

食事を終えたあと、ふと左手を見ると、
本堂でいただいた結縁の五色線がなくなっていました。

長谷寺の入口で写真を撮ったときには、まだあった記憶があります。
そうなると、どこかで落としたことになります。

仁王門のあたりや、歩いてきたあたりを少し探してみましたが、結局見つかりませんでした。

こういう日に限って、何かひとつ起こる。
振り返ると、参拝のたびに何かしらあるような気もします。

最初は少し残念に思いましたが、

探しても見つからないものは、仕方がありません。

むしろ、観音さまのお御足に触れてお参りできたことの方が、
大切なご縁だったのだと思うようにしました。

その数日後、両親から連絡がありました。
五色線は両親で二つ持っているので、ひとつを郵送で送ってくれました。
今は手元にあり、空海のお御影と不動明王のお御影と並べて置いています。

長谷寺 五色線

それでも、
手元に残るものよりも、
その場で感じた時間のほうが大切なのかもしれません。

花まつりの日に、両親の結婚記念日と重なって、
桜の長谷寺を一緒に歩いたこと。
母と一緒に御朱印を受け、父が看板を熱心に読んでいたこと。
そして、観音さまの前で小さな声で話した時間。

そういうものが、今回の参拝では一番大きかったように思います。

おわりに

長谷寺は、ただ桜がきれいなお寺というだけではなく、
歩きながら、少しずつ気持ちが整っていくような場所でした。

真言宗十八本山の一つとして訪れた今回の参拝でしたが、
それ以上に、両親と一緒に歩けた一日として強く残っています。

次にまた来るときは、きっと季節も違うのだと思います。
それでも、登廊を前にしたときのあの空気は、
きっと同じように感じるのだと思います。

他の参拝記も、こちらにまとめています。
👉 御朱印・参拝記一覧はこちら


📌 このブログは、「内向型のまま、50代から人生を組み直したい人」のために書いています。
🌿 ひとり時間を大切にしたい方
🛐 御朱印めぐりや一人旅が好きな方
🚖 無理しない働き方を選びたい方
僕の実体験が、あなたの“静かな一歩”のヒントになれば嬉しいです。

👉 運営者情報|空心たく(たくじん)自己紹介はこちら