家の周りでは、白やピンクのツツジが、満開を少し過ぎた頃。
足元に花びらが落ちていて、その感じがまたきれいでした。
四国遍路(犬と車中泊)を終えてから、
神社仏閣を巡ることが、僕にとって心を整える時間になっています。
4連勤を終えた翌日、
愛犬のマルくんとプーくんを連れて、生駒山にある龍眼寺へ向かいました。
目的は、僕の守り本尊である虚空蔵菩薩にお参りすることです。
犬と一緒に、龍眼寺へ向かう
朝、マルくんとプーくんに洋服を着せると、大はしゃぎ。
車に乗せると、さらに嬉しそうにしていました。
どこへ行くのか分からないでしょうが、
洋服を着せたり車に乗ることで、何かを感じているのかもしれません。
天気はやや曇り。
それでも最高気温は24℃になる予報でした。
もうすぐゴールデンウィーク。
今年は昨年より暑くなるそうです。最近は毎年そんな感じがします。
タクシーの仕事をしていると、
ご年配のお客様と「最近の暑さ」の話をすることが増えました。
夏は外に出るだけでも危ない。
でも、どうしても出かけないといけない時がある。
そんな時にタクシーがあると助かる。
そう言っていただくことがあります。
仕事で感じている季節の変化と、
休みの日に向かう参拝の時間。
別々のことのようで、どこかつながっているようにも感じました。
少し迷いながら、参拝者駐車場へ
龍眼寺の参拝者駐車場は、思っていたより立派でした。
ただ、入口が少し分かりづらく、
一瞬、信貴生駒スカイラインに入ってしまうのではないかと不安になりました。
初めて行く場所は、こういう小さな迷いがあります。
でも、その迷いも含めて、あとから振り返ると印象に残るものだなと思います。
思わず足を止めた、小さな風景
無事に車を停めて、おとぎばなしの人形の前で、
マルくんとプーくんの写真を撮りました。
龍眼寺には、おとぎばなしの人形や、童子像、かわいいお地蔵さんが、いたるところに点在しています。
少し不思議で、どこかやわらかい空気があります。
あとで知ったのですが、ここでは幼く亡くなったお子さんや水子さんの供養が行われていて、
その子たちが寂しくならないように、という思いが込められて配置されているそうです。
そう思って見てみると、この風景の見え方も、少し変わる気がしました。

犬たちがいるだけで、参拝前の空気が、少しやわらかくなります。
仁王門で気になった、吊るされたわらじ
仁王門の前に立つと、阿吽の仁王像がありました。
その表情を見ながら、ふと気になったのが、吊り下げられているわらじです。
どうしてわらじがあるのだろうと思いました。
あとで調べてみると、わらじは足腰の健康や、巡礼の無事を願って奉納されるものだそうです。
四国遍路のように「歩くこと」が前提の文化では、身体そのものの象徴でもあると知りました。
そう思って見直すと、ただの飾りではなく、意味のある風景に見えてきます。
こういう小さな疑問が残るのも、参拝の面白さだと思います。

手水舎にも童子の像。笑みが自然と出ます。
水が出ていないのかなと思って立っていました。
すると、自動で水が流れ出して、少し驚きました。
最近は衛生面の配慮で、自動になっているところも増えているようです。
こういう小さな変化も、時代を感じる部分かもしれません。
本堂で、虚空蔵菩薩の前へ

本堂に入る前、
「御朱印を受けられる方は、先にお声かけください」
という案内がありました。
そこで声をかけると、お寺の方が中へ通してくださいました。
住職さんかどうかは分かりませんが、とても丁寧に対応してくださいました。
龍眼寺には、虚空蔵菩薩が二体お祀りされているとのこと。
その前で、まずは手を合わせました。
守り本尊である虚空蔵菩薩に、
自らの意思で目的を持って初めてお参りできたことへの感謝。
そして、簡単な自己紹介のような気持ち。
そんな思いで、静かに手を合わせました。

虚空蔵菩薩の説明も、自然と身を乗り出すように読んでいました。
だからかもしれません。
御朱印をお受けしたあと、虚空蔵菩薩の前で、
真言宗や空海、密教のお話も含めて、ゆっくり説明していただきました。
金剛界(こんごうかい)と胎蔵界(たいぞうかい)を表す、二体の虚空蔵菩薩。
密教では、世界の成り立ちや仏の智慧と慈悲を、それぞれ別の形で表しているそうです。
正直、すべてを理解できたわけではありません。
でも、「ああ、そういう世界なんだ」と感じるだけでも、十分だった気がします。
左手に持つ如意宝珠は、願いを叶える象徴とされているそうで、
その話を聞いたとき、思わず「ありがとうございます」と口にしていました。
これまでいろいろなお寺を参拝してきましたが、
ここまでじっくり話を聞けたのは初めてかもしれません。
「このご縁を大切に」
その言葉が、静かに心に残りました。
こうして御朱印をいただく時間も、僕にとって大切なひとつです。
👉 御朱印の記事一覧はこちら
四国八十八ヶ所の仏像を巡る
龍眼寺には、自然の中を歩きながら、四国八十八ヶ所の仏像を巡ることができる場所があります。
僕は、ひとつひとつに挨拶やお礼を伝えながら、写真を撮って回りました。

88ヶ所の仏像を巡りながら、四国遍路の記憶が自然とよみがえってきました。
30番あたりから、一休さんのいる橋を渡ります。
そのあたりから、少し空気が変わっていくのを感じました。
山の中に入っていくような感覚。
大きな石があり、空気も少しひんやりしていました。

橋を渡りながら、一休さんと左手でグータッチをしました。
少し笑ってしまうような場面ですが、こういう小さな出来事も、あとから思い出に残ります。
橋の途中には、腰痛大師の像がありました。
僕は腰痛持ちなので、
腰痛が起きないように、そっとお願いしました。
橋を越えたあたりから、空気そのものが変わるような感覚がありました。
冷たい空気。
静かな圧。
鳥の鳴き声。
そして、遠くに聞こえる生活音。
大げさに言うつもりはありませんが、
思わず深呼吸したくなる場所でした。
善通寺の前で、般若心経を唱える
第75番、ご本尊は薬師如来。
善通寺の前まで来ると、自然と心が引き締まりました。
昨年導かれたように四国遍路以来の参拝をした善通寺の旅を思い出します。
👉 善通寺の旅
ここでは、般若心経を三度、ゆっくりと唱えました。
善通寺は、僕にとって特別な場所です。
だからなのか、言われたわけでもないのに、自然とそうしていました。
理由をうまく説明できるわけではありません。
でも、その場に立つと、そうしたくなる。
そういう感覚も、参拝のひとつなのだと思います。
最後に起きた、小さな出来事
四国八十八ヶ所の仏像巡拝を終えました。
順番通りに回ろうとして、行ったり来たり。
途中で「順番にこだわらなくてもいいか」と思ったり、
少し疲れて「やめようかな」と感じる場面もありました。
でも、ゴールが近づくと気分は自然と軽くなっていきます。
タクシーの仕事でもそうですが、
心は思っている以上に、すぐに移り変わるものだと感じます。
一休さんにさよならをして、
修行中の空海の後ろ姿を写真に撮ろうとした時でした。
右手の薬指に、トンボが止まりました。
あまりに突然で、思わず払いのけてしまいました。
トンボが手に止まることなんてあるのか。
こんなことは初めてでした。
特別な意味があるのかは分かりません。
でも、心に残る出来事でした。

今までで一番落ち着けるお寺かもしれない
守り本尊である虚空蔵菩薩に会いに行くため、
初めて龍眼寺を参拝しました。
参拝を終えて感じたのは、
とても落ち着けるお寺だったということです。
おとぎばなしの人形や、仏像のそばにいる童子の像。
少し不思議な空間でもありますが、
理由はうまく言えません。
それでも、これまで参拝してきた中で、
一番落ち着けるお寺かもしれないと感じました。
境内には、四国遍路を思い出す場所もありました。
般若心経を唱えながら、ゆっくり巡れば、
2〜3時間でお遍路のように回ることもできるそうです。
いつか四国遍路を逆打ちしたいという気持ちがあります。
でも、その前に、ここで逆打ちしてみるのもいいかもしれない。
そんなことを思いながら、龍眼寺をあとにしました。
また来たい。
そう素直に思える場所でした。
👉 内向型としての働き方や考え方については、こちらにまとめています。
内向型の働き方シリーズ一覧
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