高野山金剛峯寺

何度も高野山へ来ていたのに、今回初めて金剛峯寺を参拝しました。

それは、今まで知らなかった場所というわけではありません。
むしろ、何度も通ってきた場所でした。
でも今回、初めてちゃんと立ち止まれた気がしました。

高野山奥之院を初めて参拝したのは、2019年でした。

なぜ行こうと思ったのか、正直もう覚えていません。
でも、その時の空気や感覚は今でも残っています。

その参拝がきっかけで、亡きチワワのココアと四国八十八ヶ所のお遍路を車で巡ることを決めました。
結願後も、高野山奥之院へお礼参りに来ています。

前職を辞め、タクシーへ転職する直前には、バイクで参拝しました。
高野山の総鎮守、丹生都比売神社にも何度か参拝していて、娘の婚約成就で参拝もしています。

思い返すと、高野山はいつも人生の節目にあった場所なのかもしれません。

それなのに今回、初めて総本山・金剛峯寺へ入り、壇上伽藍をゆっくり歩きました。

そこで思ったんです。

僕は今まで、高野山へ来ているつもりで、
奥之院へ向かう道を歩いていたのかもしれない。

金剛峯寺も、
壇上伽藍も、
大門も、
ずっとそこにありました。

でも今回、ようやく立ち止まって、
高野山全体を歩けた気がしました。

今回の高野山への一人旅は、そんなことを感じた一日でした。

思い返せば、この時期に高野山へ来ている

休みの日の朝は、少し不思議です。

仕事の日は普通に起きられるのに、休みの日になると、どっと体の奥から疲れが出ることがあります。

この日もそうでした。

体は少し重い。
でも気持ちは、高野山へ向いていました。

思い返せば、この時期に高野山へ行くことが多いです。

最初は2019年(令和元年)、今は亡きチワワのココアと一緒でした。

父とマルくん(7kgのプードル)、プーくん(2kgのチワプー)と来たこともあります。
娘の婚約成就で、丹生都比売神社の良縁のお守りを授かったこともありました。

そのお守りは、後に善通寺へ返納しました。
👉 善通寺の旅|第3話「戒壇めぐりで感じた静寂と、御朱印(重ね印)」

気づけば高野山は、僕にとって何かの節目で訪れる場所になっていました。

今回は、真言宗十八本山の納経帳に金剛峯寺の御朱印をいただくこと。
そして、四国霊場八十八ヶ所納経帳に奥之院の重ね印をいただくこと。

時間と体力があれば、丹生都比売神社にも参拝したいと思っていました。

急がない運転で、高野山へ向かった

ガソリンを満タンにして出発しました。

今回は高速を使いました。

急ぐためではありません。
安全な道で、高野山で過ごす時間を少しでも増やしたかったからです。

高速を降りてから、少し気持ちが変わりました。

タクシー乗務の時は、前の車の流れ、速度、車線、信号、周囲の動きをずっと見ています。

でもこの日は違いました。

急ぐ理由がない。
焦る理由もない。

ただ山へ向かって走るだけです。

タクシー乗務員になる前は、
「国道へ迂回してください」と看板が出るようなスーパー林道を走っていました。

最短ルートでも、車一台しか通れないような極端に狭い道です。

でも今は、そういう危険な走り方はしません。

同じ運転なのに、気持ちの使い方がまったく違う。

そんなことを感じながら、高野山へ向かっていました。

道の駅くしがきの里で、山の空気を感じる

途中、道の駅くしがきの里で休憩しました。

天気も良く、風が気持ちいい。

川のせせらぎ。
葉が揺れる音。
ほーほけっきょという鳥の声。
遠くから聞こえるバイクの音。

大阪でも山の方で育ちましたが、山の緑が少し濃く感じました。

うまく言えませんが、街の緑とは少し違う。
空気ごと、色が深くなるような感覚でした。

マルくんとプーくんを散歩させていると、猿まわしが始まるというアナウンスが流れました。

以前、大阪天満宮でも、父と偶然猿まわしを見たことがあります。

まさか道の駅でも出会うとは思いませんでした。

道の駅くしがきの里で偶然見た猿まわし
道の駅くしがきの里で偶然出会った猿まわし。

こういう偶然は、なぜか心に残ります。

大きな出来事ではないけれど、
「ああ、今日はこういう流れの日なんだな」
と思わせてくれるような時間でした。

大門から入って、初めて高野山の入口に立った

大門南駐車場に車を停め、大通りではなく、森林側から助けの地蔵を経由して大門へ向かうことにしました。

徒歩5分ほどと書いてあったので、軽く考えていました。

でも実際は、なかなかの階段です。

息が上がる。
太ももが辛い。

帰りに数えてみると、137段ほどありました。

これはしんどいはずです。

助けの地蔵へ着くと、輪袈裟に白衣姿の方が、静かに般若心経を読経されていました。

その空気を邪魔したくなくて、先に大門へ向かうことにしました。

大門。
高野山の西の入口です。

今回は、仁王像をしっかり、じっくり見ました。

大きい。
迫力がある。

子供の頃に見た東大寺の仁王像を思い出しました。

今見たら、また違った印象になるのかもしれません。

そして、ふと思いました。

今まで高野山へ来ていたのに、僕はこの入口に立っていなかった。

車で通ることはあっても、ここで立ち止まることはありませんでした。

高野山へ来ていたつもりで、
僕はずっと奥之院へ向かっていただけだったんだなと。

高野山 大門
高野山の西の入り口、大門。

この日の大きな気づきは、
もしかすると、ここから始まっていたのかもしれません。

助けの地蔵で、お願いをやり直した

大門をしっかり目に焼き付けたあと、再び助けの地蔵へ戻りました。

高野山 助けの地蔵
助けの地蔵。一願地蔵とも呼ばれているそうです。

案内板には、
「困ったことがあった時に、一生懸命祈りを捧げる者の願いを開いてくれる一願地蔵」
と書かれていました。

中へ入ると、ふりがな付きの般若心経が貼ってありました。

静かに般若心経を唱えます。

そして、その後にお願いをしました。

収入が増えますように。
売上が安定しますように。
あれもこれも。

でも、お願いしながら、途中でハッとしました。

何か違うな。

もちろん生活があります。
収入も大事です。

でも今の自分が、ここで一番願うことは、それじゃない気がしました。

もう一回、やり直しました。

「無事故無違反で、お役に立てますように」

その言葉の方が、今の自分にはしっくりきました。

売上も大事。
でもその前に、無事に帰ること。
誰かの役に立つこと。

助けの地蔵の前で、そんなことを思いました。

母へ送った仁王像の写真

駐車場へ戻り、マルくんとプーくんを少し散歩させました。

そのあと、母へ仁王像の写真を送りました。

「どこでしょう?」

いつも行き先は言わないので、母は当然「?」という反応です。

でも、その時ふと思いました。

両親も年齢を重ねています。
マルくんも12歳。

あと何回来られるのかな。

今までは、
「また来ればいい」
と思っていました。

でも最近は、少し違います。

また来ればいい。
いつか行けばいい。

そう思っているうちに、時間は静かに進んでいく。

今を大事にしないとな。

仁王像の写真を送りながら、自然とそう思いました。

やっと総本山・金剛峯寺へ入った

高野山総本山金剛峯寺

我が家は高野山真言宗です。

それなのに、今まで金剛峯寺は外から見るだけでした。

何度も高野山へ来ているのに、
正式に中へ入るのは今回が初めてです。

金剛峯寺の主殿

内拝券(1,000円)を購入して、中へ入りました。

まず驚いたのは、空気の静けさでした。

外は観光客も多く、
車の音や会話も聞こえてきます。

でも一歩中へ入ると、
空気が変わる。

床のきしむ音だけが響いていました。

大広間の襖絵。

鶴の絵。
天井。
畳。
柱。

時代劇の世界みたいだなと思いました。

でも、不思議と落ち着かない感じではありません。

むしろ、
どこか田舎の本家に来た時のような感覚に近かったです。

もちろん、
襖絵のレベルはまったく違いますけど。

金剛峯寺 回廊

廊下を歩きながら、
柱や木にそっと触れてみました。

言葉にしにくいのですが、
長い時間を経た木の感触には、
何とも言えない落ち着きがあります。

インバウンドの方も多く参拝されていました。

日本人より日本人らしい雰囲気の方もいて、
少し不思議な感覚でした。

この建物を、
皆さんはどんな気持ちで見ているんだろう。

そんなことも考えました。

金剛峯寺の蟠龍庭

石庭も、
しばらく座って眺めました。

正直、
どう見れば正解なのかは分かりません。

でも、
ただ静かに眺めている時間が心地良かった。

そして、
昭和天皇の写真。

その前だけ、
自然と背筋が伸びました。

説明できないけれど、
空気が変わる感じがありました。

ただ一つ思ったのは――

僕はこんな立派な、
天井の高い部屋では緊張して寝れないだろうな。

やっぱり、
どこか落ち着く小さい空間の方が好きみたいです。

真言宗十八本山の納経帳へ御朱印をいただき、
さらに四国八十八ヶ所の納経帳にも御朱印をお願いしました。

真言宗十八本山 金剛峯寺の御朱印
真言宗一八本山 第18番 金剛峯寺

納経帳を見ていただきながら、
静かに御朱印を書いていただく時間も、
とてもありがたい時間でした。

壇上伽藍で、外から見ていただけだったことに気づく

金剛峯寺を出て、明王院の前まで来ました。

向かいには壇上伽藍があり、
根本大塔が見えます。

去年は、近畿三十六不動尊の明王院と南院へ参拝しています。

それなのに、
金剛峯寺も壇上伽藍も、
ほとんど外から見るだけでした。

なぜ明王院へ参拝して、
壇上伽藍へ入らなかったんだろう。

自分でも少し不思議でした。

今回、初めて壇上伽藍の中へ入ってみると、
どうやら正面の中門ではなく、
裏側から入っていたようです。

「あれ、何か違う」

そう思い、
中門から入り直しました。

奥之院といい、
僕は反対から入る性質なのかもしれません。

高野山 壇上伽藍 金堂
壇上伽藍の金堂。ここから時計回りで参拝しました。

金堂から時計回りに参拝します。

赤い根本大塔が、
どうしても目に入ります。

そちらへ行きたくなる。

でも今回は順番通り。

金堂から西塔、御影堂、
そして根本大塔へ向かいました。

高野山 壇上伽藍 西塔
僕は不思議と、西塔の静かな雰囲気の方に惹かれました。

根本大塔は目立ちます。
強く印象にも残ります。

でも僕は、
不思議と西塔の方が気になりました。

理由はうまく説明できません。

ただ、
もう一度見たいと思ったんです。

だから戻って、
もう一度西塔を見に行きました。

高野山 壇上伽藍 根本大塔
目立つ根本大塔と、静かな空気の壇上伽藍。

目立つものより、
少し静かなものの方が気になる。

仕事でも、
日常でも、
そういうところが自分にはあるのかもしれません。

👉 内向型の回復方法|疲れやすさを整える静かな休み方と習慣

壇上伽藍を歩きながら、
そんなことを思いました。

奥之院で、未来に希望 過去に感謝

中の橋駐車場へ移動して奥之院へ向かいました。

前回は電車で1年の感謝と新しい年への願いで奥之院を参拝しました。
👉 【電車で行く高野山奥之院】50代ソロ活、静寂に身を置いて心を整えた一日

今回は一の橋ではなく中の橋から。
中の橋から参拝することも何度もあります。

その途中で、いつも好きな言葉があります。

「未来に希望 過去に感謝」

希望の碑 感謝の碑

何度見ても好きな言葉です。

未来に希望。
過去に感謝。

年齢を重ねるほど、この言葉の重みが少しずつ変わってくる気がします。

この日は日曜日だったこともあり、人が多く感じました。

以前は土日祝に休むことは少なかったのですが、今は4勤+1休のリズムにしているので、土日祝が休みになることも増えてきました。

働き方が変わると、参拝する日の空気も変わります。

奥之院御廟裏手(裏拝所)で参拝を終え、少し座っていると、住職と団体の方がお経を唱え始めました。

僕も小さな声で一緒に般若心経を唱えました。

20人くらいの声が重なると、不思議とお腹にも響いてきます。

一人で唱える般若心経もいいですが、誰かと同じ音で唱えるお経には、また違う心地良さがありました。

最後に、四国八十八ヶ所霊場の納経帳に奥之院の重ね印をいただきました。

また一つ、重なりました。

高野山奥之院の御朱印(重ね印)

少しずつ重なっていく重ね印を見ると、
自分の歩いてきた時間も重なっているように感じます。

2019年に初めて奥之院へ来た時は、
まさか四国八十八ヶ所を巡ることになるとは思っていませんでした。

前職を辞めることも、
タクシー運転手になることも、
娘が結婚することも、
まだ何も分かっていませんでした。

それでも振り返ると、
高野山はいつも人生の節目にありました。

未来に希望。
過去に感謝。

今回の参拝は、
その言葉を改めて噛みしめる一日になりました。

何度も来ている場所なのに、少し違って見えた

丹生都比売神社は次回にすることにしました。

以前の僕なら、
予定していた場所は全部回ろうとしていたかもしれません。

せっかく来たのだから。
ここまで来たのだから。

そう思って、
無理に詰め込んでいたかもしれません。

でも今回は違いました。

全部回ることより、
今ある時間を大事にしたい。

そう思いました。

今回の高野山は、
何か特別な出来事があったわけではありません。

大門へ行き、
金剛峯寺へ入り、
壇上伽藍を歩き、
奥之院へ向かった。

ただそれだけと言えば、
それだけです。

でも僕の中では、
少し違いました。

高野山へ来ていたつもりで、
奥之院へ向かっていただけだった。

そのことに気づいた一日でした。

何度も来ていたのに、
見ていなかった場所がある。

何度も通っていたのに、
立ち止まっていなかった場所がある。

それは高野山だけではないのかもしれません。

仕事でも、
家族との時間でも、
自分の暮らしでも。

見ているつもりで、
見ていなかったものがある。

大事にしているつもりで、
後回しにしていたものがある。

今回初めて見えたものは、
新しい景色ではありませんでした。

ずっとそこにあった景色です。

ただ、
僕が立ち止まっていなかっただけでした。

だから今回の高野山は、
何かを達成した一日というより、
立ち止まることの大切さを思い出した一日だったのだと思います。

他の参拝記も、こちらにまとめています。
👉 御朱印・参拝記一覧はこちら


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